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鳥公園の『abさんご』2022/研究 「近代的な個の輪郭をほどく演技体――『abさんご』を経由して、劇作論をしたためる――」

終了
鳥公園の『abさんご』2022/研究 「近代的な個の輪郭をほどく演技体――『abさんご』を経由して、劇作論をしたためる――」

鳥公園の『abさんご』2022/研究 「近代的な個の輪郭をほどく演技体――『abさんご』を経由して、劇作論をしたためる――」

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開催概要

2021年から、黒田夏子さんの小説『abさんご』の文体に取り組んでいます。2021年度には、読書会と鳥公園アソシエイトアーティストの三浦・和田・蜂巣によるワークショップを実施しました。

 

2022年度は、『abさんご』の文体をいかに演技体に立ち上げることができるのか? 三浦・和田・蜂巣がそれぞれに稽古場で方法を模索し、その取り組みを観察・記述しながら、劇作家の立場から西尾が劇作論を書く研究プロジェクト「近代的な個の輪郭をほどく演技体――『abさんご』を経由して、劇作論をしたためる――」を進めています。

 

三浦雨林チームの稽古場開放とワークインプログレス
稽古場開放:4月17日(日)、24日(日)、28日(木)、5月4日(水)
稽古場開放・ワークインプログレス:5月9日(月)、11日(水)

 

和田ながらチームの公開稽古とワークインプログレス
公開稽古:6月26日(日)
ワークインプログレス:7月2日(土)、3日(日)

 

蜂巣ももチームの公開稽古とワークインプログレス
公開稽古:8月13日(土)、20日(土)
ワークインプログレス:8月27日(土)、28日(日)

研究計画書より

1.演技体はどのように生じるか? 上演をつくる者たちが戯曲の要請に応えようとする、そのときにある応答し方を可能にするものとしての演技体が生まれる。演技体は、戯曲の文体とがっぷり四つに取り組もうとする体に生じるものである。
では劇作家は、特定の上演や演技体のイメージを持たずにゼロから書くことが出来るのか? 否。おそらくほとんどの劇作家は、何かしら特定の立ち方で舞台に立っている俳優をイメージしながら、その人たちを動かそうとして言葉を書く。つまり戯曲の文体と上演における俳優の演技体は、「卵が先か、ニワトリが先か」というような相補的な関係だ。
本研究の研究代表者である西尾佳織は、これまで作・演出家として俳優との密な関係性の中で、現代口語の「自然」な会話をベースとする劇作を行ってきた。しかしその、劇作家と俳優が密着した状態での創作に問題を感じるようになり、「自然」とは異なる演技体を要請する戯曲の文体を獲得する必要を感じている。
そこで、リアリズムとは異なる演技体を要請するテキストから、三人の演出家に上演をつくってもらい、その過程でテキストの文体と上演の演技体との間にどのような相互作用があるかを検討し、劇作論を書くことにした。そこからゆくゆく新しい戯曲の文体を開発することが、本研究の目的である。

 

2.リアリズムとは異なる演技体を要請するテキストとして、本研究では黒田夏子の小説『abさんご』を用いる。『abさんご』はよく難解だとか、特異な小説だと評されるが、物語自体は非常にシンプルだ。登場するのは「子」、「親」、「家事がかり」の三人で、親と水入らずで暮らした子の幸福な幼少期から、戦後の混乱と経済的逼迫により二人の生活が徐々に傾き、そこに家事がかりが現れて親子の蜜月が終わり、やがて家事がかりが親の配偶者の地位を得て、親子が愛した文化の薫る生活からは程遠いみじめな生の中で親が死ぬまでが、時系列の順はバラバラに、全て回想の形で描かれる。本テキストの文体に特徴的な点を挙げてみる。

 

①ひらがなを多用することで、漢字による意味の視覚的把握を封じ、物語に歩調を合わせ言葉の一音一音を拾いながら意味をじっくり想像せざるを得ない、リニアな読書体験を強いている。
②固有名詞を一切使わず、主語も極力排し、人は「(動詞)する者」、モノは例えば「傘」を「天からふるものをしのぐどうぐ」と記述するなどして、名詞ではなく動詞中心に文章が編まれている。
③人もモノも「(動詞)する者/モノ」と記述されることで、人とモノが同列に扱われ、主体を中心とするのではなく出来事や関係性の側から物語が記述されている。

 

『abさんご』は、作家の黒田自身がほぼ私小説であることをインタビューで認めているが、もしもこの物語がごく一般的なリアリズムで記されたなら、個人的過ぎて他人にとってはどうでもいい、接続のしようがない記憶で終わっていただろう。だが独特の手法によって、記憶は一個の主体の所有物ではなく、無数の動詞のあいだを満たす風景・時間として読者に開かれ、共有されるものとなっている。3.演劇は、個人の記憶や経験を、他者と共有するための回路である、はずだ、本来。しかしリアリズムは、近代的な個人の輪郭の中に経験を押し込んでしまった。そうして単なる現実のミニチュアもしくは日常の写し絵に堕した演劇が、表現としての強さを獲得しようとしたときに、何が起こるか? 表現の強さは、そこで語られる個人の経験の内容としての強烈さに頼ることになる。そして内容的に強烈な個人の経験を扱おうとすると、当事者性が問われ始め、演劇はアイデンティティポリティクスの隘路にはまり込んでしまう。
しかし『abさんご』では、俳優aが登場人物Aを代理表象として演じることさえも封じられている。許されているのはただ、断片化したAの動詞をaが代わりに担うことだけだ。個人としての輪郭を持った主体(=登場人物)を起点にした物語ではなく、動詞の集積を物語として提示することはできないか? そのように物語を語る作劇が、個人の記憶・経験を普遍的なものとして共有し、人が個人の枠から自由になって集える〈場〉としての機能を演劇に取り戻すことになるのではないかと考えている。

年間スケジュール

4月中 劇作論の問いの前提(西尾がこれまでの活動において、何に影響を受け、どういうコンセプトを持って、いかなる実践をし、どのような成果と失敗を生み出してきたか)をまとめる
5月9日(月)、11日(水) 三浦雨林による上演と研究会@東京
6月11日(水) 西尾による三浦試演会のレポート執筆締切
7月2日(土)、3日(日) 和田ながらによる上演と研究会@京都
8月3日(水) 西尾による和田試演会のレポート執筆締切
8月27日(土)、28日(日) 蜂巣ももによる上演と研究会@東京
9月28日(水) 西尾による蜂巣試演会のレポート締切

 

以上を踏まえ、2023年度末までに劇作論を執筆する

クレジット

代表研究者=西尾佳織(鳥公園)
共同研究者=三浦雨林、和田ながら、蜂巣もも(以上、鳥公園アソシエイトアーティスト)

学校法人瓜生山学園 京都芸術大学〈舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践 的研究拠点〉
http://old.k-pac.org/kyoten/public/

研究作品=黒田夏子『abさんご』(文藝春秋)