作・演出の西尾佳織が2007年7月に結成。 「正しさ」から外れながらも確かに存在するものたちに、 少しトボケた角度から、柔らかな光を当てようと試みている。生理的感覚やモノの質感をそのままに手渡す言葉と、空間の持つ必然性に寄り添い、「存在してしまっていること」にどこまでも付き合う演出が特徴。東京以外の土地での滞在制作も積極的に行っている。『カンロ』、『ヨブ呼んでるよ』、『終わりにする、一人と一人が丘』にて岸田國士戯曲賞にノミネート。2020年度より和田ながら(したため)、蜂巣もも(グループ・野原)、三浦雨林(隣屋) をアソシエイトアーティストに迎える。
twitter – @torikouen
instagram – @torikouen
youtube – torikouen
note – bird_park
2021年度アニュアルレポート
2020年度アニュアルレポート



–
『私の知らない、あなたの声』 作・西尾佳織 演出・和田ながら
公演 2021年4月 THEATRE E9 KYOTO×京都舞台芸術協会 ショーケース企画 “Continue”
公演 2021年5月 ストレンジシード静岡2021
撮影=中谷利明






–
『鳥公園のアタマの中展2』
公開稽古・リーディング上演・トーク 2019年3月 東京芸術劇場アトリエイースト
撮影=三浦雨林



–
#14『すがれる』 作・演出 西尾佳織
公演 2017年7月 こまばアゴラ劇場・アトリエ劇研
撮影・ダイジェスト編集=深田隆之
『終わりにする、一人と一人が丘』の公演を以て、鳥公園で私が劇作と演出を兼ねる体制を終わりにします。「いったん」になるのか「ずっと」になるのかは分かりません。少なくともここから3年、劇作家・主宰の西尾と、和田ながら(したため) 、蜂巣もも(グループ・野原)、三浦雨林(隣屋)の複数演出家体制でやってみます。それに伴い、鳥公園は「演劇作品を上演する団体」というよりは「広く演劇的営みのプロセスが生成される〈場〉」になります。
前提 ―― 作品というのは、whatではなくhowである
作品というのは、
〈what = 何を扱うか〉ではなく、
〈how = whatをいかに扱うか〉だと思っています。
〈how〉とはつまり、他者に対峙する姿勢であり、他者と関係を結ぶ仕方のことです。
演劇は、関係の芸術です。関係というのは、複数の関係が同時に存在していて、(戯曲と演出家・俳優・スタッフ)(演出家と俳優)(俳優とスタッフワーク)(上演と観客)(戯曲の書かれた時代・地域と上演される今・ここ)などなど、この複数の関係の総体が演劇です。
複数の関係が同時に存在するというのは、複数の声が響くことでもあります。
「一人の指揮者がいて、一つの曲を多くの楽器で統一的に演奏する」シンフォニー(交響曲)に対して、「複数の独立した声部がそれぞれが違う曲を奏でていながら、全体として調和を生じる」ポリフォニー(多声音楽)がありますが、私はポリフォニックな演劇がつくりたい。そう考えたとき、作・演出・主宰を一人で兼ねていることがどうしても矛盾していると感じるようになりました。
複数性の演劇のために1 ―― 人が集まる集まり方の、新しいモデルを考える
2年前に俳優に言われて、ずっと私の中に留まっている言葉があります。「演出家はみんなの父親みたいなものなんだから。」私の中で、何かが完全に停止しました。むしろそういうものと闘う気持ちでやっていた。これは根深い。かなり根本的なところから関係性を変えないと、とても作品はつくれない。
そこから一人になって沈黙して、考えていました。なんだか東京にはいられなくて、演劇のシーンも自分の生きていることと関係があると思えなくなって、京都に行って、城崎に行って、名古屋、静岡、クアラルンプール、ペナン、サンダカン、また京都、名古屋、城崎、岩手、釜ヶ崎、寿町、天草、島原、長崎、韓国、広島、台北 、でもずっと日本のことを考えていました。なぜ私たちは今、こういうことになっているのか? 日本の演劇の流れのことも考えていました。
創作のための集団が家族になぞらえられるようなあり様が、私には受け容れがたい。でも国家、会社、家族といった集団がすべて相似形になっていて、強い親分的なリーダーの下に兵隊たちがいて、ものが生産される、というモデルはなかなかに根強く浸透していると思います。学校や家庭や職場など、前の時代から続いているシステムの中で私たちは日々否応なしに振り付けられていて、「この方法はもうダメだ、つらい!」ということまでは言えても、それとは異なる振る舞いを生み出して実践することは難しい。個人単位の気持ちや心構えで対応するのでは限界があって、システムから変えるしかないんだと思います。だから、これまでと違うフローで言葉が交わされ、アイディアが試されて熟し、人が自分の足で立って自分の頭で考えて、成熟していける〈場〉をつくりたい。人が集まる集まり方の、新しいモデルをつくりたい、と思います。
複数性の演劇のために2 ―― 作・演出・主宰を分ける
作と演出を分けることは、言葉でひとつの世界を綴じる工程と、戯曲の世界を身体言語によって上演へと立ち上げる工程を、分けることです。演出と主宰(≒プロデューサー)を分けることは、芸術上の判断と運営上の判断を分けることです。
劇作家と演出家、演出家と主宰が異なる立場から対話することで、単なる「好き/嫌い」や「快/不快」 という価値に留まらない、世界の複雑さを複雑なままに提示する複数性の演劇を実現します。
複数演出家制というのは何かというと、鳥公園は所属する人を抱える集団ではなく、建物のない劇場のようなもので、そこのアソシエイトアーティストとして複数の演出家がいるイメージです。プラットフォームとして、戯曲があります。
現代の日本の劇作家の書いた戯曲の多くは、たった一つの上演とだけイコールで結ばれて、「戯曲と上演の関係が演劇」と捉えられることはほぼないように思います。でも戯曲は本来、多様な上演の可能性を孕んだ種のようなものです。複数の演出家とチームを組むことで、戯曲と上演の関係性が広く想像され得る状態をつくりたい。
また演出家同士にとっても、問題意識を共有したり、お互いに批評を書き合ったりするようなゆるい連帯が、長くつくり続けていく人生を助けてくれるのではないか。作と演出を兼ねているといないとに関わらず、主宰は孤独です。追求していることを見つめ続けてくれる存在が、創作現場の内側以外にもいることは、大きな支えになると思います。「自立とは、依存先を増やすこと」というのは小児科医の熊谷晋一郎さんの言葉ですが、演出家それぞれが主宰している集団と鳥公園とを行き来しながら、それぞれに、みんなで生きていく形を探したいです。
複数性の演劇のために3 ―― 広く演劇的営みのプロセスが生成される〈場〉とは?
シアターピースの上演だけが演劇の活動ではありません。でも今の日本の演劇のシステムの中では、シアターピースを上演することが活動として一番分かりやすく、観客が触れることができるのも、評価の対象になるのも主にそこです。
が、良い作品が生まれるためには表に現れてこない様々な時間の過ごし方が必要で、作品に直結しない部分でもアーティスト同士がたくさん言葉を交わすことや、最終的な作品には残らないある意味「無駄」と思われる試行を重ねること、リサーチといったプロセスも演劇的営みの重要な部分です。そういう、これまではほぼ無いものとされてきた部分を掬い上げ、創作現場の内部にいる人以外にもプロセスが見えるようにする働きを、〈場〉としての鳥公園で担っていきます。
特に若いアーティストが、新作をどんどん発表することに必死になって疲弊しがちなのは、アーティスト側の問題という以上に文化政策における評価側の問題が大きいと思います。個人の天才性やタフさに依存して、からがら生み出される成果を摘み取るだけでは、焼け野原になります。つくり続けながら生きていくために、成熟が可能な環境をアーティストの側から実践・提案したいと思います。
複数性の演劇のために4 ――〈パブリック〉を構築する
もう一つ考えたいこととして、観客との関係があります。
「アーティスト」として公的支援を受けるようになってからずっと、どこかで居心地の悪さを感じていました。公的なお金や発表の機会が芸術に与えられることに、業界以外の人は全然納得していない感じがする。そしてこの少ない(しかも今後さらに減っていくらしい)パイを、「それでもないよりはあった方がいい」ということだけで奪い合ったとして、一体どういう未来につながっていくのか……?
私は助成金や公共劇場ネイティブ世代で、一応芸術大学でアートについて学んだ者でもあるのですが、それでも「公的な支援を受けるって、どこかに『上手くやってる』みたいな罪悪感あるわ……」と思ったりします。これはつまり、舞台芸術界(というか、より広くアート業界)の中の論理と、外の生活実感が食い違っているということなんだと思います。そしてこの論理が私のアタマにはインストールされましたが、この気候風土で暮らしている身体の腑に本当に落ちているかというと、接ぎ切れていない感は否めません。
日本の文化芸術の支援体制はまだまだ建設中で、アーティストが当事者として制度自体をつくることにコミットしていく必要があるはずですが、実際は受給者の枠になんとか入ろうと一生懸命になるか、制度に批判的で距離を取るかに分かれてしまっている気がします。自戒を込めて。
それから演劇を観ることが好きな観客の人たちも、創作現場の内側にはいないけれど、業界の中の人です。でも創作をめぐる状況についての議論から、観客は除かれているように思います。
〈パブリック〉の訳語は〈公〉ですが、〈パブリック〉の中身が〈私たち〉であるのに対し、〈公〉は〈お上〉もしくは〈世間〉というニュアンスで存在しています。そのどちらにも、顔を持った〈私〉はいません。
どうしたら芸術活動は成立するのか? 自分には何ができて、何を必要としているか?
「私には演劇が必要」と思う当事者たちが、演劇をつくって/観て生きている自分の言葉で、顔の見える〈パブリック〉を構築していくことから、未来が生成されるはずです。
西尾佳織
2007.07 鳥公園設立
2008.03 #1『ホームシック・ホームレス』@Nakano f
2009.04 #2『家族アート』@神楽坂die pratze
2010.03 #3『おばあちゃん家のニワオハカ』@市田邸
2010.09 #4『乳水』@日暮里d-倉庫
2011.03 #5『家族アート』再演@鳥の劇場
2011.04 小鳥公園#1『女生徒』@ギャラリーフラスコ
2011.10 #6『おねしょ沼の終わらない温かさについて』@シアターグリーン BASE THEATER
2012.02 小鳥公園#2『すがれる』@大阪市立芸術創造館
2012.03 小鳥公園#2『すがれる』@カフェ・ド・ファンファン(北九州・小倉)
2012.05 小鳥公園#2『すがれる』@BankART NYK
2012.08 『ながい宴、の始まり』@アサヒ・アートスクエア
2012.09 『待つこと、こらえること』@広島市現代美術館、3331 Arts Chiyoda
2012.12 #7『ながい宴』@横尾邸(北九州・八幡)
2013.09 『蒸発』@東京芸術劇場シアターイースト
2013.10 #8『カンロ』@三鷹市芸術文化センター 星のホール
2013.12 『女生徒』@KAIKA
2014.03 #9『緑子の部屋』@大阪市立芸術創造館、3331 Arts Chiyoda
2014.08 #10『空白の色はなにいろか?』ショーイング公演@クリエイティブセンター大阪
2014.09 『すがれる』多摩ver.@多摩1キロフェス2014
2015.01 #10『空白の色はなにいろか?』@京都芸術センター フリースペース、STスポット
2015.08 #11『緑子の部屋』(再演)@アトリエ劇研
2015.09 『火星の人と暮らす夏』@多摩1キロフェス2015
2015.10 『火星の人と暮らす夏』@枝光まちなか芸術祭2015、名古屋市青少年センター ユースクエア
2015.11 #11『緑子の部屋』(再演)@こまばアゴラ劇場
2016.03 小鳥公園#3『ペルソナ』@「劇」小劇場、森下スタジオ〈若手演出家コンクール2015最優秀賞受賞〉
2016.09 #12『↗ ヤジルシ』@BUCKLE KOBO(東京)、豊島・唐櫃岡の棚田(香川)〈瀬戸内国際芸術祭2016参加〉
2017.03 #13『ヨブ呼んでるよ』@アトリエ劇研(京都)、こまばアゴラ劇場(東京)
2017.07 #14『すがれる』2012/2017@アトリエ劇研(京都)、こまばアゴラ劇場(東京)
2018.02 eyes plus『鳥公園のアタマの中展』@東京芸術劇場 アトリエイースト
2019.03 eyes plus『鳥公園のアタマの中展2』@東京芸術劇場 アトリエイースト
2019.11 #15『終わりにする、一人と一人が丘』@東京芸術劇場 シアターイースト
2020.07 鳥公園ワークショップ2020
2020.09 三浦雨林演出『乳水』〈ストレンジシード静岡2020参加〉
2021.04 和田ながら演出『私の知らない、あなたの声』@THEATRE E9 KYOTO、駿府城公園
〈THEATRE E9 KYOTO×京都舞台芸術協会ショーケース企画“Continue”, ストレンジシード静岡2021参加〉
2021.10 鳥公園ワークショップ2021
2022.02 蜂巣もも演出『昼の街を歩く』@PARA

-主宰/劇作家
1985年東京生まれ。幼少期をマレーシアで過ごす。
東京大学にて寺山修司を、東京藝術大学大学院にて太田省吾を研究。
2007年に鳥公園を結成以降、全作品の脚本・演出を担当。
鳥公園以外の主な参加作品としては、F/T14主催プログラム『透明な隣人~-8 エイト-によせて~』(作・演出)、SPAC ふじのくに⇄せかい演劇祭2015『例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする』(脚本・共同演出)など。
2015-2016年度 公益財団法人セゾン文化財団 ジュニア・フェロー、アトリエ劇研 アソシエイトアーティストに選出される。


-アソシエイト・アーティスト/演出家(2020年-)
2011年2月に自身のユニット「したため」を立ち上げ、京都を拠点に演出家として活動を始める。主な作品に、作家・多和田葉子の初期作を舞台化した『文字移植』、妊娠・出産を未経験者たちが演じる『擬娩』など。美術家や写真家など異なる領域のアーティストとも共同作業を行う。2015年、創作コンペティション「一つの戯曲からの創作をとおして語ろう」vol.5最優秀作品賞受賞。2018年、こまばアゴラ演出家コンクール観客賞を受賞。2019年より地図にまつわるリサーチプロジェクト「わたしたちのフリーハンドなアトラス」始動。セゾン文化財団2021-22年度セゾン・フェロー。
photo: Yuki Moriya


-アソシエイト・アーティスト/演出家(2020年-)
1989年生まれ、京都出身。演出家。青年団演出部所属。
2013年からより多くの劇作家に出会うため上京し、青年団に所属。戯曲が要求する極限的な身体を引き出すことで、圧縮された「生の記憶」と観客が出会う場所を演出してきた。
2017年庭師ジル・クレマンの「動いている庭」に感銘を受け立ち上げたグループ・野原にて、演劇/戯曲を庭と捉え、俳優の身体や言葉が強く生きる場として舞台上の「政治」を思考する。


-アソシエイト・アーティスト/劇作家/演出家(2020年-)
1994年生まれ。演出家、劇作家。日本大学大学院 芸術学研究科 舞台芸術専攻 修了。隣屋(主宰/演出/劇作)、青年団(演出部)、鳥公園(アソシエイトアーティスト)。
芥川龍之介の小説や、レフ・トルストイの戯曲など既存の作品を原案に、文字としての言葉と発話される言葉の差異を際立たせる手法で劇作・演出を行う。2020年以降、映像・美術を中心とするインスタレーションの手法も用いた演劇作品を発表している。


-鳥公園お盆部/マネジメント(2022年-)
パフォーミングアーツ・マネージャー。米国ペンシルベニア州ピッツバーグ在住。東京都内の舞台制作会社に10年間勤務後、米国に移住、大学院進学を経て、現在は国際共同制作作品のプロデュースやマネジメントに従事。早稲田大学第一文学部演劇・映像専修卒、カーネギーメロン大学ハインツ・カレッジ公共政策大学院アーツ・マネジメント科にて修士号取得。


-鳥公園お盆部/会計(2020年-)
1985年生まれ。一橋大学社会学部卒業。2014年から会計フリーランスとして複数の非営利団体、芸術文化団体に従事。2018年、株式会社countroomを設立。
主な従事先としてPARADISE AIRの他、六本木アートナイト実行委員会、NPO法人アートネットワーク・ジャパン、NPO法人国際舞台芸術交流センター、あうるすぽっと、NPO法人インビジブル、など。



準備中